経田ギョギョーム年表(暫定版)

ダメルーツをたどる旅

〜1985年
児童期
■バンド『CALCOKE』及びグループ『ONC』活動期
 メンバー=ササ、ニャンタ、ナショ、ハマモ、マウミほか
・後のギョギョームの前身
・その頃ドミ、マキは別世界で何か(不明)に磨きをかけていた
※参考
・当時ドミは引田天功・長州力・キャプテン翼ファン
・将来の夢
ドミ→保母 マキ→芸能人マネージャー ササ→バンドかDJ
1986年
黎明期
・ドミ、マキとササ、ニャンタ、ナショ、ハマモ、マウミが合体
現メンバー3名がそろった瞬間

■『オールナイトナショナル』第一回〜第七回録音
 構成=ニャンタ
パーソナリティ=ナショナル、リッチーササキ
レギュラーゲスト=ドミ、マキ(共にアイドルとして)
内容=ラジオドラマ、ジャンプ放送局パクリほか

■第一回クリスマス会(現在まで続行中)
・以後6年は夜部員のみ参加
昼部=ドミ、マキ、ササ、ナショ、ニャンタ
夜部=マキ、ササ、ハマモ、マウミ
・夜ならではのテンションが夜部のいいところ
・まだ経田ギョギョームの名称はない
1987年
生誕期
■『すべてはこの夜に』第一回〜第四回
 内容=ラジオドラマ、官能実話本朗読ほか
・『オールナイトナショナル』の後継番組

■完全内輪短歌集『シチュー記念日』制作開始
・無論あの有名本に対抗
■経田ギョギョームプロジェクト(KGP)誕生
・ササキ以外だれも名称を使ってくれない
1988年
遊撃期
■『すべてはこの夜に』最終回
・収録は学校の放送室で行われた
■この頃から単発で紙もの制作
■廊下の長さを測る(卒業式前日)
・端まで100mあるかどうかが焦点 誰も結果を覚えてない
・面積も計算
1989年〜
1992年
遊楽期〜
離散期
■オリジナルカクテル『ギョギョーム』誕生
 ブルーキュラソー1/4りんごジュース3/4をシェイク、ソーダでみたす
■KGPカクテルパーティー隆盛期
 ホスト=リッチーササキ
余興=Missドミック
主な参加=マキ、ナショ、ハマモ、マウミ
『もっと、夏。〜今年も熱い瞬間がやって来た。
大胆もいいけど時には大人の顔も楽しみたい。
飲むもよし、語るもよし、あなた次第。
もっと、夏。わたしはやっぱり、カクテル』(当時のチラシより)

■KGPダンス部全盛期
 部員=マキ、ササ、ハマモ、マウミ(=夜部)
■唄『帰ってこいはまも』『OHジェニー浜守』(1991)
■ジューシーフルーティーラブリーびんせん(1992)
■1992年以降、車で遠出ツアーのみ盛んに
 主な参加=ドミ、マキ、ササ、ハマモ、マウミ
1993年
下降期
1994年
低迷期
■構想・製作7年『シチュー記念日』がギョギョーム本『な…!』として刊行される
著作名義=米佐野小雪(ドミ・ササ・ナショ)+凹凸マキ
・秋、ササキMac購入
1995年
中迷期
1996年
高迷期
1997年
風前灯火期
・恒例の遠出ツアーすら人集まらず
1998年
新世紀
■ドミ・マキ・ササで経田ギョギョーム新結成(7月)
 ・最後まで残った3名
■各種ポストカード、びんせん等の制作が始まる
■初アイロンプリントTシャツ制作
1999年
世紀末
■初シルクスクリーンプリント『ベンドラTシャツ』完成
■チーズビット何個口に入るか大会スタート
2000年
成長期
■本『ベンドラ』創刊号刊行
■フリーペーパー『ベンドラ』配布開始
■ホームページ本始動
■『ジューシーキューティーフルーティーTシャツ』
■『ベンドラTシャツ2』
■『ギョレンジャーTシャツ』『ガキ流血Tシャツ』
■初作品展『ギョギョーム展』 (富山市フリークポケット)
■ギョギョーム唄部『ハロー・マキとグッバイズ』結成
・活動内容未定
2001年
混沌期
■ホームページがgyogyoom.comに
■メンバー全員無職に
・先見えず
■ホームページで競馬予想始まる
■レコードジャケット制作
■作品展『ギョギョーム展2』
(富山市フリークポケット)

■ササキ、無職から脱出
■マキ、競馬予想八番勝負で優勝
2002年 ■フリーペーパー『ベンドラ』10号配布
 ・不透明な未来